文楽との出会い

sonnabanana2004-10-11

...というわけで、8日金曜日に奥さんのお供で岩手県民会館文楽協会の十月地方公演を見物してきた。演目は夜の部で「桂川連理の柵」(かつらがわれんりのさく)から下の巻の後半の「帯屋の段」それと日高川入相花王(ひたかみがわいりあいざくら)から「渡し場の段」の二幕。

文楽は、初体験でというか、どうもじめじめしたお話しは、ちょっと苦手で...あんまり期待しないでどちらかというと運転手としてしかたなくという...(^^;


で、どうだったかというと...

おもしろい!食わず嫌いだった。


以下自分の理解のために「帯屋の段」の解説本とネット検索からの写しなどを記述しておく。





「帯屋の段」の登場人物は帯屋の養子で主の長右衛門とお絹の夫婦、その店の隠居の帯屋繁斎と元下女だった後妻おとせ、その実子の儀兵衛、そして隣の信濃屋の娘お半と丁稚の長吉の計7人。
長右衛門は捨て子で信濃屋治兵衛に拾われて五才まで養育されその後、隣の帯屋繁斎の養子となり商売を盛りたて繁斎の隠居後は妻お絹と店を守っている。帯屋といっても質屋のようなこともしており長右衛門は大名から預かった脇差蔵屋敷に届けたりもしている。


「帯屋の段」の前段までの部分。

長右衛門は、育ての親、治兵衛の臨終の際に治兵衛の娘お半の養育を託され24才年下のお半の親代わりとなってきた。長右衛門が38才、お半が14歳の時にそれぞれが、偶然旅先の宿で出会った。夜中に信濃屋の丁稚の長吉に言い寄られたお半が長右衛門に助けを求めたのだが、つい子供だと思ってお半を蒲団に入れてやったら...思いのほか大人で❸! つい過ちを犯してしまった。


数ヶ月後長右衛門は、大恩人の娘でしかも親代わりの身でありながら犯した罪に悩む一方、お半は長右衛門をひたすら恋慕い妊娠したことを明かした。


で、いよいよ「帯屋の段」。

長右衛門は大名から預かった脇差蔵屋敷に届けに行った。留守中に隠居した帯屋繁斎の後妻おとせは、実子の儀兵衛をもりたてようとし、長右衛門を憎んでいて、あわよくば息子と共謀し帯屋を乗っ取ろうとしているのだが、今日も一昨日受け取ったはずの百両が見当たらないことを理由にさらに店のお金五十両を盗みその罪を長右衛門になすりつけようとした。

長右衛門が戻り金の詮議が始まったのだが、長右衛門は百両については口を濁し五十両の紛失については驚いた。長右衛門をさらに追いつめようと弟儀兵衛が読み上げたのは「長様」あてのお半の恋文だった。長右衛門の味方であった養父繁斎もさすがこれには擁護ができなかった。暖簾に泥を塗ったというおとせ親子の非難に長右衛門は胸がつぶれる思いであった。


しかし、事前に儀兵衛のたくらみを知っていた長右衛門の妻お絹はすでに夫を救うべく手筈を整えていて、お半に惚れる丁稚の長吉にお半と関係したことにすれば添い遂げさせてやると言い含めてあった。はな垂れの丁稚がお半の相手と聞かされた儀兵衛は大笑い。しかし長吉がお半との関係を認め「長様」は自分だといいはったので折れざるを得なかった。


で、再度おとせ親子による金の詮索が始まったのだが、ほうきで殴りつけたりして酷いことになって、怒りだしたお絹を制して長右衛門はじっと耐えていた。

ついに隠居の繁斎が亭主がどう金を使おうとお前らの知ったことではない。文句があるならまた下女に戻すぞ!と親子を叱りつけ、二人は不満げに去っていった。


さて、長右衛門の悩みを察する隠居の帯屋繁斎と妻お絹の不安は自害されることなのだが、繁斎は、恥を忍んでも生きて欲しい、お絹は、お半との関係もかまわないのでずっと一緒にいて欲しいとの嘆くのだった。しかし二人の言葉はますます長右衛門の気を重くするものだった。百両は人助けに使い、五十両を盗んだのは察しがついて言い訳は立つのだが、お半とのことは何ともならない。自責と後悔で苦しみ、妻にはお半とは切れたと妻を安心させたものの長右衛門は死を覚悟していたのだった。というのもお半の妊娠に加え蔵屋敷へ届けた脇差がいつの間にか別物に取り換えられておりすっかり行き詰まっていたのだ。


妻のお絹に慰められて一人蒲団をかぶりひそかに涙にくれる長右衛門のところにお半が現れ、この恋は諦めたと立ち去ったのだが、桂川に身を投げるとの遺書が残されていた。十五年前に桂川で芸子岸野と心中しようとして自分一人逃げ帰った過去のある長右衛門は、その岸野がお半に生まれ変わり桂川へ呼ぶのかと感じ、一緒に死のうと後を追うのだった。




というストーリー。最後の部分は、ぼくはちょっとその場では聴き取れてはいなかった。ほんとは、こういった内容を知ったうえで出かけるともうちょっと愉しめたと思うのだが。


しかしこういった内容を映画などで演じられたらちょっと我慢できなくて見続けるのはつらい。きっと途中で席を立ったかもしれない。しかし文楽は、人形、語り、太棹など高度に様式化されいて器楽で演じられているようにも思え、ちょうどモーツァルトベートーヴェン室内楽を聴いているようにも感じられた。


「ぼくはラテンなのであれだけできた女房ならきっと許してくれる。ジェーンもいいけどメリーも好きと3人で仲よくすれば隣の店も一つにしてますます大きくなってハッピーエンド!」、「もしそうなったら相談に行くからね」とワケの解らないことを奥さんに言ったら軽くあしらわれた(^^ゞ


それにしてもひとりの人形に3人付いていて5人の人形の登場の時は15人も男がぞろぞろいるのだが物語に慣れると気にならなくなり、むしろ人形の表情に見とれ、またその仕草にドギマギしたりしたのだった。

反対に太夫はたった一人で7人の声色を使い分け太棹と一緒に全体の空気をつかさどっていた。